- 伊藤 耕三 教授
- 東京大学
工学部 物理工学科 大学院 新領域創成科学研究科 いとう・こうぞう
1958年山形県生まれ。81年東京大学工学部物理工学科卒。86年同大学大学院工学系研究科物理工学専門課程博士課程修了。86年通商産業省(現・経済産業省)工業技術院繊維高分子材料研究所入所。91年東京大学工学部物理工学科講師。94年同助教授。99年同大学大学院新領域創成科学研究科助教授。03年より現職。05年㈱アドバンスト・ソフトマテリアルズを設立し取締役に就任。主な著作に『非平衡系のダイナミクス入門』(共著・培風館)がある。
「伊藤研究室」のWebサイトアドレスはコチラ → http://www.molle.k.u-tokyo.ac.jp/index.html
物理工学の基礎研究から生まれた夢の新素材

- 伊藤研究室のある柏の葉キャンパス基盤棟

- 秋の日の東京大学柏の葉キャンパス全景
ここのところ「世紀の発明」とか「世界的な発見」というフレーズをとんと聞かなくなった。ところが東京大学柏の葉キャンパス(千葉県柏市)に研究室を置く伊藤耕三教授の研究チームは文字どおり世界的な発明をやってのけた。
その世紀の発明というのは、それまで高分子を集合させる「架橋」が固定式だったものを自由に動けるゲル(環動ゲル)にさせる化学合成に成功したもの。これによって繊維をはじめ医療・化粧品・食品・液晶などの分野に画期的な変革が期待されている。まずは、この間になっているかの経緯について伊藤先生自身に語ってもらおう。
「わたしの専門は物理工学における高分子ポリマーの研究です。高分子というのは、架橋点という工程をへて弾力性や強度を高めて製品化されています。ただ従来の架橋は固定式のため一定以上の張力に対して切れてしまうなどの欠点がありました」
長い間この状況が続いてきたが、2000年に伊藤研究室がこれをついに解決した。
「私どもが考えたのは架橋点を動くようにしたらどうだろう――ということでした。この可動式の架橋点は8の字状の輪になっていて、分子がその中を自由に動く構造になっています。ヒモ状の分子を引っ張ると動滑車と同じ原理で引き合って、力が均一になるように動きます。そうして外部から加えられる力が分散することになり、非常に高い伸縮性と弾力性を備えた高分子ポリマーの製造が可能になりました」
その応用範囲の広さといったら、ウールやシルクなど繊維への混紡によって家庭で洗っても縮まずシワにならない効果、また人体への使用も可能で人工関節や筋肉・コンタクトレンズなどへの応用、さらに化粧品や食品・医薬品・塗料液晶――等々その応用分野の可能性は限りない。
東大初のベンチャー・キャピタル〝asmi〟

- 柏の葉キャンパス隣にある「asmi」の入るビル
まさに夢のようなこの新素材については、日本およびアメリカ・中国での基本特許もすでに取得。この新素材を得て、05年に伊藤先生らはベンチャー企業「㈱アドバンスト・ソフトマテリアルズ」(asmi)を学内に設立し、先生自身も取締役に就任した。
「すでにウールへの混紡繊維製品の実用販売は07年4月を目標に製造が始まっています。また海外大手企業からの引き合いもいくつか来ています。今後はいろんな分野への実用化が順次行なわれていく予定です」
「これまで日本の大学内に起業されたベンチャー企業というのも幾多ありましたが、ほとんどが規模も小さくて利益もあまり上っていないのが実情でした。今回設立したasmiは東大初の試みとなるベンチャー・キャピタルで、ここから上がる利益の大半は大学に還元されることになっています。還元された資金は大学の基礎研究に充てられ、そこからまた新しい芽が出るという循環になればと考えています」
この高分子環動ゲルをめぐる発明からベンチャー化までの伊藤先生らの試みに対し、日刊工業新聞主催の「第1回ものづくり連携大賞」が贈られている。21世紀を迎えて「夢」や「希望」などを持ちにくい閉塞の時代ともいわれるが、先生の話を聞くうちに久しぶりに胸の膨らむ想いがしてくる。
大学研究室の自由さが発明・発見を生む

- 「asmi」応用研究室にて伊藤先生と研究員
伊藤先生は柏の葉キャンパスに大学院の研究室を置いていると同時に、本郷キャンパスの東京大学工学部のほうでも学部3年次の学生への講義と4年次学生の卒業研究の指導を行なっている。
「学部3年次の学生には物理工学科で『非平衡系』の講義を、4年次の学生には卒業研究の指導をしています。卒研指導をするのは例年3人程度で、全員とも柏の葉キャンパスで大学院生やasmiの研究者たちといっしょに研究参加してもらっています。研究環境的には非常に恵まれていると思いますよ」
その学生指導については次のように話してくれた。
「無理矢理ことばを良くしていえば学生の自主性に任せているということになりますが、実際は各自バラバラに勝手にやっています(笑)。『これをやれ』『あれをやれ』などと私のほうとしても意識的にあまり指示を出さないようにしています。時間についても学生たちの都合で自由にやっています」
こうした自由な雰囲気こそが世紀的発明につながったのかも知れない。もちろん月に2回ほどのペースでメンバー全員が参加するディスカッションも開かれ、きちんと先生のチェックも入れられる。ここにおいて各研究の進捗状況などが報告される。
「研究や実験というのはどれもが計画どおりにスムーズに進展するとは限りません。ときに隘路に入って行き詰まるケースもあり得ます。そんなときはメンバーといっしょになって打開策やテーマの変更などを検討したり、私からサゼスチョンしたりするようにしています」
最後に伊藤先生は企業における研究と大学での研究の違いについて次のように話してくれた。
「じつは私たちの今回の発明も最初は物理工学の基礎研究での偶然の結果から出発しています。科学上の発明や発見にはこうした偶然から生まれてやがて革新的なものに発展することがよくあります。そうした発明・発見は、企業の研究室よりも大学の研究室から生まれる可能性のほうが大きいですね。企業の研究はビジネス上の利益確保からの要請であるのに対し、大学の研究室では純粋な好奇心や関心あるいは遊び心のようなものによって研究されるところがあるからでしょうね」
物理工学の基礎研究といえば地味な世界だと思われがちだが、今回の伊藤研究室での発明のように何百億円ものビジネスチャンスにつながる可能性も秘めている。そのasmiの第1号製品だが、いよいよ07年4月にも店頭に並ぼうとしている。
こんな生徒に来てほしい
今回の高分子環動ゲルの発明において中心になって研究してくれたのは、当時院生だった奥村泰志君(現大阪大学助手)でした。彼は目を非常にキラキラと輝かせていた青年で、学部のころから目立っていました。私たちの研究というのは「宝探し」と同じで、宝が埋まっているところを探し当てなくてはなりません。それは頭脳の優秀さよりも、旺盛な好奇心や研究熱心であることのほうが大切です。彼はまさにそういう学生でした。そういう若い人にどんどん来てほしいですね。

