- 井上 順孝 教授
- 國學院大學
神道文化学部 いのうえ・のぶたか
1948年鹿児島県生まれ。74年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。74年東京大学文学部助手。82年國學院大學日本文化研究所講師。86年同助教授。92年同教授。02年より現職。06年より日本文化研究所所長を兼任。神道宗教学会奨励賞受賞(87年)。著作は『図解雑学宗教』(ナツメ社)『若者と現代宗教』(ちくま新書)『宗教社会学がよ~くわかる本』(秀和システム)など多数
井上先生が主宰するWebサイトはコチラ →http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/
未来社会の混沌を見透かす宗教社会学

- 井上研究室のある渋谷キャンパス「若木タワー」

- 夏を迎えた國學院大學渋谷キャンパスの正門
今年07年で創立125周年を迎える國學院大學は日本文化の研究では定評のある伝統校だ。「国史・国文・国法研究の國學院」とも言われ、また神道神職の養成コースがあることでも知られる。その神道文化学部において教授を務める井上順孝先生が今回ご登壇ねがう未来の恩師だ。ただ「神道文化」と「宗教文化」の2つのコースから構成される神道文化学部のうち井上先生の所属は後者で、神職の養成には直接は関わっていない。高名な宗教学者でもある先生の専門は「宗教社会学」。まずは、いかなる学問領域なのか?その概要からお話いただこう。
「宗教社会学とは、いろいろな宗教を人々が信仰することによってその社会に現われてくる諸現象とその違い等について調査研究する学問をいいます。つまり信仰の違いによる社会的な振る舞いや儀礼方法・しきたりの差異などを調査分析するものです」
学問のカテゴリーとしては、文化人類学や民俗学・歴史学・深層心理学などとも近い学問分野ともいう。宗教社会学の研究者の方法論・姿勢としては、とにかくフィールドワークが多いことと特定の宗教に偏しない立場を堅持することが大事とも語る。
そこで井上先生の本来的な研究テーマは、伝統的な仏教や神道から近代に出現した新宗教まで、宗教的なるもの全てが現代人にどのように関わっているのかということになる。特にいわゆる新宗教(創価学会・立正佼成会・霊友会・天理教・世界救世教など)を中心にした現代宗教が対象となる。
「日本人の大半は仏教徒とされます。しかし既存の仏教とのかかわりは葬祭など儀礼的かつ希薄な関係に過ぎないといえます。それに比べて新宗教はその信者たちの日々の活動が活発なのが特徴です。新宗教の信者の大半にとって信仰は儀礼的なものに止まらず、その人の生き方そのものに根付いた存在ともなっています」
形式的・儀礼的な既存の仏教・神道に対して、より実質的な新宗教――という基本的構図のもと、さらに井上先生は分析・研究を進めていく。その研究の比重は新宗教関係のテーマがおのずと大きくなるという。」
全宗教を識別していく社会学的研究の遠大さ

- 夏休み中の國學院渋谷キャンパスの構内風景

- 建築中の「学術メディアセンター」。奥は若木タワー
21世紀を迎え、ますますデジタル化・グローバル化の大波に翻弄されていくニッポン社会。温和な東アジア的・農耕民族的な社会風土から否応なく決別を迫られるそんな状況のなかで生きざるを得ない人々。今後、そんな日本人の宗教世界とその意識はどのように変貌していくのだろうか?
「これから日本人の宗教に対する感覚は大きく変わっていくでしょうね。世界中の宗教が今後いろいろと入り込み交じり合っていきます。一方で新宗教を中心に日本の宗教そのものも海外に進出していきます。そうなると西欧諸国のようにこの国にもイスラム教をふくめ海外の宗教がどんどん入ってくるでしょう」
「そしてニッポン〝宗教市場〟はいま以上に活性化していくと考えられます。そのぶん社会内部でのトラブルや軋轢もより激しくなっていくでしょう。そうしたカオス的状況のすき間を縫うようにして、オウム真理教に類似するような犯罪カルトが発生する可能性すら否定できません」
なにやら暗澹たる雰囲気の「未来ニッポン予想図」という気もしないではない。ただし、ますます地域コミュニティー意識と参政意識が人々のなかで希薄化・弱体化するなか現状のまま少子化・都市化が進めば、そして国民経済を支える担い手として外国人労働者の流入が先進国並みにさらに加速すれば、あながちあり得ない将来の日本社会の姿ではない。
そういった普遍的かつ複合的な社会構造にこの国がなってしまったとしても、文明衝突的な紛争・暴動や無意味な社会的摩擦はでき得るかぎり防ぎたいものだ。いま一部の中東・西欧諸国で起きている悲劇を未来のニッポンで生じさせないためにも、未知の宗教の存在について今からよく理解しておくことが重要なのだろう。そこで登場するのが宗教社会学ということにもなる。
「宗教社会学というのは、神学などと違って人々を特定の宗教に導くものではありません。それぞれの宗教・宗派の違いの詳細を鮮明にしつつ一般的な了解に導くためにあるとすら言えます。まあ口でそう言うだけなら簡単なのですが(笑)。新宗教も含めた世界中の各宗教の違いを識別する作業というものは大変に至難な作業となります」
それだけに宗教社会学者に寄せる期待は大きい。歴史的・社会的にも意義のある研究分野と井上先生が自負する所以でもある。
現代宗教に関わることの全てを調査研究

- なんと構内に神社もあるのが國學院大學ならでは
國學院大學神道文化学部のゼミ演習は、3・4年次の学生が対象で、このうちのいずれか1年間に履修することになる。そこで井上ゼミだが、人気ゼミだけに定員30人のところに入ゼミ希望者は多い。せっかく希望してくれた学生を選抜で落とすのは忍びないということもあり、今年07年から井上先生のゼミは2クラスに分けての開講となった。
これをもっても井上先生のお人柄、そして教育に懸ける熱情や学生への想いも推して知るべしだろう。自らを慕ってくれる学生のために労を惜しまない。そして常にニコニコ笑顔の絶えない温かい雰囲気が先生の周りに漂う。
ところで、ここのところの井上ゼミの統一した研究テーマは「現代宗教論」となっている。その概要について先生は次のように話す。
「基本的には、現代宗教に関わることの全てをいろいろなスタンス・角度から研究するということに尽きます。①アンケート調査による分析②教団等を実際に訪ねての聞き取り調査③各種のデータや史資料の分析――等々、ゼミ生自身の希望する方法で自由に調査分析をしてもらい、その結果について発表し批評し合うというスタイルで進めています」
そうした学生たちへの指導方針については――
「自ら問題を発見する確かな目を養い、いかに多くの情報を収集し、それらをきちんと分析しまとめて発表できるように高められるかということですね。同じテーマ・事象を見ても、その関心のあり方によって見え方は違ってきます。研究する人の能力や情熱が高ければ高いほど新たな論点がいろいろ見えてくるはずなのです」
特殊なようで普遍的な宗教研究の醍醐味
ところで井上ゼミのOB・OGたちの就職先だが、放送・新聞などのマスメディア関係や教員、さらには一般企業のサラリーマンやOLになる人も多いらしい。宗教について研究する毛色の変わった学部・ゼミだから特殊な就職先しかないというような心配は杞憂のようだ。
「むしろ普通ではない学部で特殊な研究をしてきた――そのことが学生の特徴となるらしく(笑)、求人企業の採用担当者の印象も総じて良いようですね。本人さえしっかりしていれば出身学部や学科は関係なくなると思いますし、かえって差別化ができて有利になるみたいですよ」
いまや世界はグローバル化・情報化・デジタル化の大波にさらされている。長く眠れる発展途上大国であったインドもブラジルもそして中国・ロシアも事実上その波に乗るなかで先進国への仲間入りを果たそうとしている。この国だけがある意味で牧歌的・均一的な社会のままで今後いられるはずなどない。
明治維新以降の戦前・戦後を通じて無意識のうちにも日本人全体が共通に認め合ってきた「右肩上がり成長のニッポン」という経済・社会・文化的なイメージ、さらにはその人間関係や宗教観すらも大きく変わっていくことだろう。その衝撃は社会革命以上の変化ともいえるかも知れない。
「そうした大変化の兆しのひとつに携帯電話の普及があります。いまや小中学生でも見ず知らずの世界中の人にアクセスするような時代になりました。あらゆる常識や規範・通念といったものが根源的に変わっていくでしょう。それは宗教の世界でも同じです。これまである寺院内ある神社内だけの特殊な問題だったことが、たちまち地球上の万人の知ることになったりしますからね」
こうした先の見えにくい混沌とした状況は、宗教社会学を研究するにあたっても従来の社会学的方法で解明できない課題が次から次へと出てくることとなり、大変な混乱状態にあると率直に認める井上先生だ。しかしまた、その一見して非科学的とも思えるような混沌・混迷さ、それこそが宗教社会学の研究に携わる醍醐味になっているようにも感じた。
こんな生徒に来てほしい
将来の自分の姿として、「国際社会に貢献したい」「文化的な事業に関わりたい」などと何かしら社会のなかでの自身の役割について真面目に考える若い人なら誰でも大いに歓迎します。ここ國學院は日本の伝統的な宗教について学びながら他の宗教についても学べるという他大学にはない利点があります。その希少な特長を生かすことで、今後の日本社会を研究するうえでも大きな核(力)にもなると考えています。


投稿されたご意見・ご感想(2件)
堀川 ともこ さんのコメント
古代日本を征服したヤマトにより隠された十二道(トウアマリフタミチ)を解明しなければ本当の神道は見えてこないと思われます。日月海(地球)三つの玉が集まった正月の紅白の元旦は、元は十二道が奉っていた事、この三個の玉を神輿の紋章にしている神社があるのでは?
投稿者: 堀川 ともこ | 2008年08月18日 19:40
堀川 ともこ さんのコメント
千葉県房総丘陵の東端の玉之浦を望む一ノ宮玉前神社の御例祭には、ヤマト政権以前の十二道の思想が祭として隠されています。元旦の紅白は旧暦の元旦を意味していて、今年平成20年の元旦は2月7日で赤玉の日の出は6時34分白玉の月の出は6時36分で、二つの玉が睦月元旦の睦の刻に玉之浦に出現することを祝うのが古事記海幸山幸の段で「赤玉は緒さえ光れど白玉の君が装いし尊くありけり」と赤玉の赤ちゃんの御子を白玉の君、玉依姫に預け二つの紅白の玉が天空に昇って行くことを祝う地球の海の神豊玉姫の尊(八尋鰐となって産む)ですが、ヤマト政権はこれとは異なる解釈です。尚この旧暦元旦に東の海からの日月の出は例年のこと。この赤玉の睦児の事を中国では龍と云われ、十二道では一尋鰐(初めて呼吸する動物が東の海から産まれた)と云われます。古事記に「大鏡を王の船に懸け、海路より葦浦を廻り玉之浦に渡り十二道の蝦夷の境に至る」と大和による最後の蝦夷征伐によって消滅した十二道です。
投稿者: 堀川 ともこ | 2008年08月21日 13:09