- 山内 志朗 教授
- 慶應義塾大学
文学部 やまうち・しろう
1957年山形県生まれ。88年東京大学大学院博士課程単位取得。88年新潟大学人文学部助手。同助教授をへて99年同教授。07年より慶応義塾大学文学部教授。専門の中世哲学・倫理学のほか、中世哲学の視点からみる「現代思想」「現代社会論」「コミュニケーション論」「身体論」「修験道」「サブカルチャー」「ミイラ」「占い」「アロマセラピー」なども研究分野。主な著書に『普遍論争』(哲学書房 92年・平凡社ライブラリー 08年)『天使の記号学』(岩波書店)『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書)『〈つまずき〉の中の哲学』(日本放送出版協会)『〈畳長さ〉が大切です』(双書哲学塾 岩波書店)などがある
「倫理学」とは一体どんな学問なのか?

- 初夏を迎えた慶應義塾三田キャンパス

- 現代の病理を中世哲学と絡め論じる『天使の記号学』
昨今のこの国の混沌たる「情況」――。企業の不祥事が相次ぐと「企業倫理」、医療ミスが発覚すると「医療倫理」、個人情報が流出すると「情報倫理」が人々のなかで日々取りざたされていく。このような良心の問題になるとお決まりの時代劇の印籠のように繰り出される「倫理」って、いったい何なのだろうか?
今回ご登場いただく慶応義塾大学の山内志朗教授の専門は「倫理学」。倫理というと一般の人には「人生はこうあるべきだ」と断定する厳しいイメージがあるように思える。しかし山内先生のお話を聞いていると、そんなイメージは根底から打ち砕かれてしまう。目からウロコが何枚も落ちる「方法論」をいくつも披露してくれた。まさに一生モノの恩師といえよう。
「倫理学というと、人の正しい生き方を厳しく問うような学問といった印象もあって必要以上に身構えて警戒してしまう人も多いかと思いますが、もっと緩やかなイメージで考えてほしいですね。人間が理想として追求する価値対象として『真』『善』『美』の3つがあります。真理を追究するのが哲学、善を追求するのが倫理学、美を追究するのが美学ということになります」
「ここで『善』といってもひと言で表わせられるような単純な概念ではなく、『幸せとは?』『正義とは?』『友情とは?』といった人生の目標にかかわる様々なものが絡み合って成立します。ひとりではなく共同体のなかで実現できるような価値について追求していくのです。実際『倫』という字のつくりの部分は屋根のなかに人がたくさん入っているというイメージなのですね。決められた規則にやみくもに従うのではなく、他者や共同体のなかで融通性をもたせながら考えていくのが倫理学なのです」
高度情報化社会を生き延びるための倫理学とは

- 冗長なものの重要性を提起する『〈畳長さ〉が大切です』
フジテレビ系『トリビアの泉』に出演して「笑いの研究家が考える一番面白いギャグ」を披露したり、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と中世スコラ哲学とを絡めて考えたりと、現代思潮に積極的に働きかけていく山内先生。その研究対象のいくつかについて自身の著作に沿って説明していただこう。
まずは『天使の記号学』に関連した論点の数々から……
「とくに現代を高度情報化社会として理解するとき、電子的な環境のなかでコミュニケーションをとるためのルールが定まっていないという問題があります。対面するときには問題が起こらないような事柄でも、メールの中だと感情がぶつかり合ってしまうということが起こっていますね。わたし自身の研究と重ねると、ITネット環境における人間のことばの捉え方が伝統的なところからズレているのかも知れないという可能性が見えてきます。本書『天使の記号学』では、情報化社会のなかでメールを打って過剰なほどに活用する若者たちは実は『天使に対する憧れ』に近いものを持っているのではないかと指摘しました」
「それらをモチーフにしたアニメーションとして『新世紀エヴァンゲリオン』があり、『酒鬼薔薇事件』における触法少年がこだわった『透明な存在』なども関連してきます。この本には『自分の気持ちをすごく代弁してくれた』などという若者からの反響も多かったのですよ。ここで天使的なコミュニケーションツールであるメールは、対面的な会話の持つ飾り(たとえば声色や調子・大きさ・発音・表情・手振り身振り・姿勢など)の一切を排除します。コミュニケーションから見ると副次的なものとして認識されてきたノンバーバル(非言語)的な面を切り捨てて、電子メールではエッセンスだけが伝えられる。それはテレパシーを使えて相手の心が一瞬で読める天使のようです。そういった天使的コミュニケーションが実現しているのではないかというわけです」
「しかしラテン語で書かれた中世ヨーロッパの文献などを調べてみると、じつは天使もことばを使って会話をしています。それは、天使ですら心と心を直接交わすことの危険性に気づいていたことの証左ではないでしょうか。実際、中世の文献では神への祈りも声を出すべしと書いてあります。神に対して祈る場合には、1人ではなく共同体において祈られます。みんなで心を合わせて祈る場合には、メッセージだけではなくどういう方法でそれを語るのかが大事になってくるようなのですね。一見して現代とは何の関わりもないかのように思える中世の文献からも、現代病理の謎が読み解けるのではないか? この本にはそんなメッセージを持たせたつもりです」
つぎに『〈畳長さ〉が大切です』に沿ったテーマとしては……
「もっと論を進めて、コミュニケーションの成立条件としての非言語的コミュニケーションや身体言語と呼ばれているものは、じつは意思疎通成立可能性の条件ではないかと論じたのが『〈畳長さ〉が大切です』となります。〈畳長さ〉は『冗長さ』をもじった私の造語です。ここでいう冗長性とは、コミュニケーションにおける豊かさ・新しさを表現するだけではなく、ちょっと言い間違えても冗長性があるだけで正しく伝わることも意味します。だからこそ安定したコミュニケーションが成り立つわけです。たとえば企業運営の合意形成の中においても、冗長性をたくさん持ったシステムでないと上手く機能しなかったりもするし、新しいシステムを生み出す場合にも具体化しにくい。ある意味では、これも単なるコミュニケーションについての本というよりも倫理学の本といえるでしょう」
そして現在の研究テーマについては……
「いまは倫理学から見た占い関係の本を書いている真っ最中です。道徳の教科書のように『こうすべきである』と上からがっちり押さえ付けてしまうと、いくら正しくても反発が生まれがちになります。その一方で、占い師は相談者と同じ目線で状況を分析してくれます。つまり自分を見る鏡にもなり得るのです。そして大雑把な分類のなかでストーリーを作って伝える。すると7割あたって3割ほど外れているような状況分析になります。しかし不思議なことに、3割自分の側に領分が残っていたほうが素直に意見を聞く気持ちになります。このように上からの目線で教え諭すパターナリズムではなく、同等の目線で相談役になってくれ、具体的なアドバイスを与えてくれているわけです。そうした少し聞きやすい倫理学もあって良いはずとも考えているわけです」
波に流されない身の処し方、それこそが倫理学

- 慶應学生の知性を支え続ける図書館旧館
世の中の幅広い現代的素材を駆使して独自の倫理学を展開していく山内先生。そうした研究の数々は、倫理学という学問そのものの中においてどのような役割を担っているのだろうか?
「我ながら少し変わっているとも思うのは、倫理学というのは通常『善とは何か』『善を実践するためには何が必要か』といったことを考えるのに対し、わたしの場合はそもそも善が成り立つためには何が必要なのかということを掘り下げている点ですね。善と悪が分かれるということ自体ある前提が必要でしょう。それは古い基準が役に立たなくなって新しいスタンダードが必要になった時にこそ露わになります。会社組織であろうと国家であろうと個人1人ひとりが新しい環境に置かれる時その基盤がしっかりしていなければ、その上に建つ新しいものは簡単に傾いてしまうでしょう。考えるための基盤をつくるのは先人の研究成果です。時代は違えども古典を読めば基盤づくりの要となります」
こうした考え方は倫理学を学び教える姿勢にも共通しているようだ。
「生命や医療・環境・情報・ビジネスといった現場における実際のテーマについての倫理問題を研究対象として取り上げたいという学生が多いのですね。ただ、それらは応用編なのであって、まずは基礎を知らなければいけません。まったく水に浮かないような人が自由形の選手のようにスマートに泳ごうとしてもすぐに出来るわけがありませんよね。同じように倫理学でも基礎からやらないと溺れてしまいます。どんな学問でもスポーツでも同じことが言えますが、基礎体力づくりからはじめて応用へと進むべきなのです。大学1~2年生のときに学ぶつまらなそうな教養科目でも懸命にやると、応用編もするすると頭に入るようになります」
そして最後に人文学・哲学・倫理学方面への進学を希望する高校生諸君へのメッセージとしてこうも加える。
「ラテン語で『ハビトゥス』という言葉があります。能力とも訳されますが、自転車に乗るとか母国語を話すとか、あることを何度も繰り返すと意識しなくても出来るようになるのがハビトゥスです。倫理学そのものもハビトゥスとして捉えることが可能です。すでに出来上がった学問体系として頭で覚えるのではなく、自らの体に身につけるように学んでいく。そうすると、このさき社会に出てからも自然に役立つようになります。わたしの研究室ではしばしば宴会をやりますし合宿もやります。酒を酌み交わしながらコミュニケーションを図るのもまさに倫理学の実践の場ということもできるでしょう。融通性を利かせながらどれだけ自分を保てるか。倫理学とは、人と情報の波に流されないための身の処し方なのです。それが無意識のうちにできると、倫理を本質的に体得していると言えるでしょうね」
「アニメ」「冗長性」「占い」などと多種多様な現代的な事柄を取り上げながらも思想の軸がブレない山内先生。それは基盤となる膨大な人類知の古典知識があればこそだろう。21世紀初頭のいま青春の日々を迎えつつある現役高校生諸君の前には今まで日本国民が歴史上経験したことがないほどに生きにくい時代が待っているのかも知れない。しかし、だからこそ世の中や他者に流されない生き方を模索したい――そう切実に思う人にこそ是非おすすめの恩師プロフェッサーといえよう。
こんな生徒に来てほしい
倫理学には、人間の生き方を学ぶという面がもちろんあります。ただし倫理学を専攻していてもぜんぜん倫理的に見えない人間も確かにいます(笑)。多様性を許容する社会が人間社会として優れた社会なわけで、ちょっと倫理的に向いていないと思う人も興味があればぜひ来てほしいと思いますね。さらに本を読むのが好きな人、人生論的な疑問を解きたい人、友達との付き合いに悩む人、善のイデアとは何かを考えるアカデミックな人、一般企業に入ってからどういう人づき合いをしていけば良いだろうと具体的な活用を望んでいる人でも大歓迎です。もちろん全く本を読まずにスポーツ好きな人が身体論的な見方で倫理学にアプローチするなんていうのもアリなわけです。身体修行系すらも受け付けますよ。

