志望理由書に必要な要素3 自分なりの解決策 ~パート2~
前回述べた「想像力の欠如」が典型的に表れる例を述べる。
1)東京ディズニーランド
【問題点】
このテーマパークが大好きで、将来ここに勤めて能力を発揮する……という解決策。類似の発想は旅行会社やアミューズメント、エンターテインメントを提供する会社にも見られる。
「大好き」の理由の多くは、そこで「素敵な体験」をしたからだ。しかし自分が客として「素敵な体験」ができたのと、組織の一員として「素敵な体験」を提供するのは決してイコールではない。
多くの支持を集める東京ディズニーランドのサービス提供側は、おそらく多大な努力と時間を費やしている。客としては「夢見る少女」「楽しめた少年」でいいのかもしれないし、提供側に回ってもその感性が全く不要とはいわない。しかし、提供側にはプロとしての冷徹な判断力や発想が求められる。エンターテインメント一般には、古くから「半歩先を読め」との格言がある。「一歩」では飛躍が生じるので「半歩」だ。こうした適性が自分にあるのかを問うところから始めた方がいい。
純粋に大学への志望理由書で「東京ディズニーランドへ勤める」が訴求するかとの問題もある。もちろん東京ディズニーランドは立派な会社である。ただし単一の会社への求職希望だけで、最高学府である大学で学びたいというのはちょっと違う。大学は就職予備校ではないのだ。
ちなみに、東京ディズニーランドの経営母体は株式会社オリエンタルランド。ウォルト・ディズニー・カンパニーは少なくとも資本面では参加していない。
【解決案】
「素敵な体験」にインスパイアされたというところまではいいとする。ただ、これはあくまで動機。こんな感動を与えられる仕事に就きたいとするならば、自分の適性・能力に何があるかを探してみる。それでも東京ディズニーランドのほかにはあり得ないのかを検討する。
2)弁護士
【問題点】
法学部法律学科で学んだ結果として「弁護士となって○○を解決する」が目立つ。「またかよ」の典型といっていい。
まず現行制度では、弁護士になるには法科大学院を出て司法試験に合格しなければならない。法科大学院は出身学部・学科を制限しない。つまり法学部法律学科を出なければ入れないとの縛りがない。現実には法律学科出身者が多いけれども、旧司法試験から、法科大学院設置による新司法試験へ移行した理念を考えると、「法律学科でなくてはならない」という主張は、それだけでは古めかしい。
また志望校が法科大学院を併置しているからといっても、今の制度では自動的に学部から上がれるわけではない。したがって志望理由書でいくら併設の法科大学院をたたえても意味が薄い。
なぜ弁護士なのかという点をおろそかにしている志望者も多い。司法試験合格は法曹に進む第一歩である。法曹は弁護士以外に検察官と裁判官がある。この2者を選ばずに、「弁護士」とする理由がよくわからない志望理由書案が非常に多い。なかには弁護士でなくても出来る「解決策」を掲げながら、弁護士を志望する人までいる。
【解決案】
逆にいうと法学部法律学科は「法曹にならねばならない」学科ではない。法曹にしておかないと説得力がない、というのは思い込みにすぎない。解決策を具体的に導き出して、それがどうしても弁護士でないとできない、というならば話は別だ。そうなのかどうかを研究したい。
弁護士を含む法曹は業務独占資格である。「その資格を持っていないとできません」という領域を持つのが、業務独占資格で医師をイメージすればわかりやすい。したがって「弁護士でなければできません」という業務範囲に解決策があるならば、説得力を増すであろう。そのためには、弁護士という仕事をきちんと調べる必要があるのはいうまでもない
3)子どもを救う
【問題点】
世界に飢えていたり、教育を満足に受けられない子どもがたくさんいるのは問題だ(問題意識)。だから私は国際的な援助活動に従事して、そんな子どもを救いたい。そのために国連職員となって児童基金(UNICEF)に勤め……(解決策)というパターン。これまた「またかよ」だ。
問題点を詳細にみていくと以下の通り
ⅰ)なぜ子どもだけを救うのか
「これからの国や社会を担っていくのは子ども達だ」という根拠が多い。なるほど。でもならば「今の国や社会を担っているのは大人達だ」ともいえる。そちらが危うければ子どもの方にも影響が出る。
確かに子ども達の窮状を見るのは忍びないし大問題という点に異議はない。ただ、こうした志望理由書案を書く人の多くが、もっと情緒的に同情している。端的にいえば「私に比べて何てかわいそうな」という感覚だ。それは人として正しい。しかし一歩間違うといわゆる「上から目線」に陥りかねない。
ⅱ)なぜ日本国内の子どもは救わないのか
国内にも困窮していたり、満足に教育を受けられない人はいる。
ⅲ)なぜ国連職員なのか
もっというと、なぜUNICEFなのかも謎である。「救う」というのを一種の援助と考えれば、問題をいろいろ指摘されているとはいえ、世界銀行や国際通貨基金が出てきてもおかしくない。文章から想像するに、財団法人日本ユニセフ協会の活動に触れたからという人が多そうだ。しかし日本ユニセフ協会は国連組織ではない。
援助活動に関わりたければ、国家公務員一種試験(国Ⅰ)に合格して外務省などに入り、政府機関の一員として行うという方法も極めて有効なはず。
【解決案】
意外と知られていないのは国連職員の多くは企業から派遣されている点である。
「援助」「支援」の概念も偏っている場合が多い。もちろん、内戦や干ばつなどで生命が脅かされている国や地域への援助は、緊急かつ人道上の見地からなされなければならない。しかし、そこからは脱しても、まだまだ子どもの就学や生活を脅かされる程度に貧しい国や地域はある。そこがおそらく最も求めているのは「雇用」であろう。
「企業は利益追求だから援助ではない」というのも一面は当たっている。半面で間違ってもいる。海外に多数の拠点を持つ企業は、程度の差はあれ雇用を生み出している。そんな観点から「援助」「支援」を幅広くとらえてみると、「またかよ」にならないで済みそうだ。









