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大学プロデューサーズ・ノート 【早稲田塾】

国立大学法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ財務省

マイスターです。

年度末の3月頃になると、道路工事が増える。
大人なら、この理由は知っています。
行政の、予算消化ですね。

それほど必要ではない工事が行われるのは、その年度の予算を使い切らないと、今後、予算申請がしにくくなるという理由から。
予算を使い切らないと、次の予算申請で予算の増額を主張しても、「でもあなた方、前回余ったじゃない。余るくらいなら、増やす必要もないでしょ」と言われてしまうわけです。

自分の省の予算を拡大させた人が評価される中央省庁のような世界では、常に「私達に回される予算は少なすぎる! (だから増額せよ)」……という状態を維持しておくのが良しとされているようで、道路行政だけではなく他の省庁や地方自治体などでも、似たような現象は見られます。

これは予算の「単年度主義」の弊害として、しばしば指摘されます。
全体からすれば、無駄なことに税金がつぎ込まれる結果になっているわけで、常識的な国民の方々はたいてい、こういう話を聞くと怒りを覚えるはず。
「単年度主義」には良い点もあるはずなのですが、こうした無駄や非効率を引き起こす結果になっている点は長年、問題とされています。

さて、今日はこんな話題をご紹介したいと思います。



【今日の大学関連ニュース】
■「国立大学に『埋蔵金』3000億円 07年度段階」(Asahi.com)

全国に90ある国立大学に07年度段階で約3千億円の「埋蔵金」があることが財務省の調査で分かった。各大学の毎年度の予算の剰余金を合計したもので、財務省は今後、文部科学省や各大学に積極的な活用を促し、当面の交付金の抑制につなげたい考えだ。

国立大学は04年度に国立大学法人化。目的ごとに細かく予算を決めていた仕組みを改め、基礎的な運営費として一括交付し、大学の裁量で使い道を決められるようにした。予算が余った際も、国庫に返納する必要がなくなった。

「独立採算」の色合いを強めたことで効率化が進み、04~06年度は1~4大学が赤字だったが、07年度は全大学で黒字化を達成。04年度から毎年700億~1100億円の予算が未使用のまま余り、4年間の総額は3001億円。各大学が施設整備費や物品購入費、研究開発費、人件費などに自由に使うことが可能で、財務省はこれを「埋蔵金」と位置づけている。

(上記記事より)

記事のタイトルを見た方は、キャンパスで小判でも発掘されたのかと思うことでしょう。
ここで言われている「埋蔵金」というのは、なんてことはない、予算の剰余金のことです。

記事にある通り、以前の国立大学は完全な「国の機関」でしたから、典型的な「単年度主義」の予算体系に従い、税金が配分されていました。
しかし法人化で独立採算の面が強化された結果、例え予算が余った場合でも、国庫に返す必要はなくなったわけです。

ですから、今年は予算を敢えて余らせ、来年以降の大胆な設備投資に回すなんてことも、理屈の上では可能になりました。

記事には、興味深いことが書かれています。

04~06年度は1~4大学が赤字だったが、07年度は全大学で黒字化を達成。04年度から毎年700億~1100億円の予算が未使用のまま余り、4年間の総額は3001億円。

(上記記事より)

全大学が経営を黒字化させた上に、総額3,000億円程度の剰余金まで生み出したというのです。
この間も財務省は、国立大学への交付金を毎年1%ずつ削減しているのに、です。
これを、大学の経営努力と言わずして、なんと表現しましょう。

もちろんこの裏では研究費や人件費の削減など、看過できない現象も進んでいます。

(過去の関連記事)
■「競争的研究資金の増加と、大学間の格差拡大」
■「非常勤スタッフの「雇い止め」が大学でも拡がる?」
■「国立大学の非常勤職員1,355人が、雇い止めの危機に?」

このように問題視されている点も多いですが、いずれにしても各大学はいま、将来の生き残りを賭けて血を流している真っ最中なわけです。
そう考えると、ここで言う「黒字化」は、ラクになったとか、ゆとりができたという意味ではないのでしょう。


その意味で、冒頭の報道は、ちょっと見過ごせません。

「埋蔵金」と表現されていますが、これは「地面を掘ったら出てきた」というお金ではなく、経営のために血を流して工面したお金。未来のための貯金です。
これを、「埋蔵金」と位置づけるのは、果たして適切なのでしょうか?

マイスターは国立大学が、国の単年度主義の枠組みから多少なりとも自由になり、剰余金を出せる経営体になったということを、画期的な出来事だと考えます。
それでこそ「このお金を何のために使うか」という発想をする意味が生まれ、本当の意味での「経営」が可能になると思うからです。
「法人化」というのは、そうした意図で進められたのだと思っていました。

でも、血を流して生み出した剰余金の存在を理由に、予算をより厳しく削減されるようになるのだとしたら、経営の効率化は大学にとって今後、無駄なことでしかなくなります。

「お金を余らせたって仕方ないから、何か機材でも買おうか」

……といった発想に逆戻りする可能性があります。
それが本当に必要な投資であればいいのですが、単年度主義の中では、必ずしもそうならないことは、既に道路行政などが証明しています。

単年度の剰余金では、大学単体では、それほど大きな投資はできないでしょう。
何か大きなことをしたかったら国に言ってよ、という体制はこれまでのまま維持されます。


国全体の財政が厳しいのはわかります。財務省の、国の金庫番としてのミッションの大きさもわかります。
高等教育のことだけ考えるのではなく、同様に充実しなければならない他の分野のことや、現在の国の借金などのことを考えると、日本の今の状況には厳しいものがあります。
大学にはまだまだ経営最適化の余地があるでしょうし、国として、必要なら経営の効率化を促すことも大事でしょう。

ただ、予算の剰余金を「埋蔵金」と呼んだり、次年度の予算削減の根拠にしたりするのには、個人的には反対です。
それはかえって経営効率化の動機を奪い、大学組織の発展を妨げるために働くように思うからです。

それに、独立行政法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ発想には、

「私たちが認めたこと以外はするな。お金の使い方は財務省が決めてやる。それ以外は無駄だ」

……という、昔から変わらない中央省庁の(特に財務省の)悪い部分が見え隠れします。
この発想から脱却するために国立大学を独立行政法人化させ、独立採算の仕組みを採り入れたというのに。
これではせっかく改革した諸制度も、骨抜きになりかねません。

全体最適化のためには、絞るところは絞り、認めるところは認めることが大事ではないでしょうか。
「余っているお金があるくらいなら……」というキャッチフレーズを安易に使いすぎると、各所での無駄な税金の使い方を招くように思います。

以上、冒頭の記事を読んで、そんなことを思ったマイスターでした。

著者紹介

【倉部史記(マイスター)】

大学院修了後、Webプロデューサー、大学職員を経て現在、早稲田塾SOHKEN(総合研究所)・主任研究員。

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