小田原の細道 <一> 鼠が虎に変じる編
厚木校
月日は百代の過客にて、行きかう年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎えるものは、
日々旅にして旅を栖(すみか)とする。
(月日は繰り返しのきかない一期一会の永遠の旅人であり、
年々歳々過ぎ行くときも行って還らぬ旅人である。
船頭、馬方なども旅と共に生き、移動の中に老いていく)
厚木校には、小田原地区から通う塾生たちがたくさんいる。
いったいどのような場所なのだろうか。我々は旅をしてみることにした。
八月も中旬、本厚木駅あたりでは盆地のせいか蒸し暑いが
小田原駅に降り立つと、高原のようなさわやかな風が吹いていた。
小田原駅を出ると、勢いのある武士像が出迎えた。
馬に乗って、家臣をひきつれて、鼓舞し、いざ戦いに行かんとする勇姿。
北条早雲(ほうじょう そううん)だという。
なぜ、銅像の横に、牛が3匹いるんだろうか?
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こんな駅のど真ん中にいるのだから、きっと何か貢献した人物に違いないと
調査してみたところ、
北条早雲は、
今から約500年前に、
小田原から神奈川全域(相模国)を平定した人物だったらしい。
北条早雲=元祖、戦国大名
北条早雲=豊臣秀吉と並んで、下級武士から大名になった下剋上の典型
北条早雲=「大器晩成」の典型
・・・地元の人も知っているのだろうか?
早雲は夢を見た。
二本の大きな杉の木をネズミが根本から食い倒し、やがてネズミは虎に変じる夢。
早雲はネズミ年生まれだったらしい!
そして小田原から三浦半島まで神奈川全域を領土にまでした。
平定した後、早雲は、“虎の印判”を使うようになったとか。
さて、なぜ駅の銅像に牛が3匹いたのか?
牛の耳についているものは「たいまつ」なのだそうで、
早雲が最初の拠点となる小田原城に攻め入る時、
自分の軍を大群に見せるため牛の角に「たいまつ」を付けたことが由来だそうだ。
早雲の拠点、小田原は東海道新幹線も止まる大きな駅だ。
歩いていくと、各所に、歴史のおもかげが残っている。
この道を、早雲も馬で走っていったのだろうか。
『小田原の細道 <二> 心臓破り坂編』 に続く・・・










