
粘って掴んだ第一志望。患者さんに寄り添う放射線技師になる
村松七海(むらまつななみ)
通塾情報
出身校 | 八王子校 |
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出身高校 | 都立翔陽高校 |
部活 | 吹奏楽 |
タイプ | 部活動、生徒会など学校行事と両立 |
夢・目標 | 放射線技師 |
進学情報
受験方式 | 一般入試 |
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大学 | 帝京大学 |
学部 | 医療技術学部 |

──[早稲田塾入学の〈きっかけ〉]大学受験のときに、後悔したくない!
高校受験が終わった中3の3月に入学。 「高3になったときに、大学受験で後悔したくない。今から勉強して学校でも上位をキープしておけば、行きたい大学に進学できるんじゃないか」と考えて、自分で決めました。
早稲田塾を選んだのは、AO入試に強いことと、自習室の環境かな。高1のうちは週に3回くらい通っていたのですが、まだあまり同学年の生徒がいなかったので友達が増えなかった。でも高1の秋ごろから先輩との距離が縮まって、いつの間にか塾が楽しくなりました。そこからは毎日自習室に通って、頑張る先輩の姿を見ては自分もやる気をもらう日々。 高2からは「AO・推薦入試特別講座」や小論文の授業を増やし、徐々に受験を意識し始めました。
──[私の〈ハイスクールライフ〉]吹奏楽部の副部長として後輩の相談相手に
部活は吹奏楽部でした。中学生の時はユーフォニウムでしたが、高校からはホルンに転向。編成の都合で移ったので最初は残念でしたが、メロディ全体を支えるホルンの演奏が、だんだん楽しくなりました。夏の大会や、冬は他校との合同バンド活動や演奏会などがあるため忙しく、週に6~7日練習がある。部活が終わってから塾に通う毎日でした。最後は副部長を務めたのですが、連絡の行き違いなどの小さなトラブルが多く、情報共有の大切さを実感。また人間関係や技術の向上について後輩からの相談を受けることがあり、そうしているうちに「人の役に立てるというのは、幸せなことなんだな」と気づいた。毎日忙しかったけれど、後輩とも仲良くなれたし最後まで続けて良かったと思っています。
──[大学・学部を選んだ〈理由〉]放射線技師になって女性患者に寄り添いたい
将来について考え始めたのは、高2の夏休みから。 「AO講座」の一環で職業体験をして、自分が何をやりたいのじっくり向き合うようになりました。最初は秘書に憧れていたのですが、私が学びたいのは理系科目だし……と思って医療系に絞って探していたところ、見つけたのが放射線技師の仕事。乳がん検診などは、「同性に担当してほしい」という意見もあります。女性も必要とされている、この仕事に就こう! と目標を定めました。
帝京大学を選んだのは、臨床実習が充実しているから。実習や座学も、帝京大学で実際に勤務している医師が担当していて、現場を意識して学べる環境がいいな、と感じました。
──[早稲田塾での〈生活〉]友人と担任助手の支えで落ち込みから抜け出せた
高3の夏は、どの受験生もたくさん勉強しますよね。私も毎日長時間頑張っていたのですが、だんだん息が詰まっていって、衝動的にインターネットで見つけた某アイドルグループにハマってしまいました(笑)。 勉強が終わった後、夜な夜な動画を観るから睡眠時間が減って、日中の集中力が無くなる、という悪循環。9月になり「このままじゃ、ヤバイ!」と気付いた。ダラダラ長時間やっているから、集中力が途切れる。それからは短時間でいかに効率的に勉強できるかを考え、取り組むようにしました。そして、できるだけ塾に行って、頑張っている人の姿を見たり、話を聞いたりして、「私も頑張ろう」と気持ちを奮い立たせた。
大学生の担任助手には、よく相談に乗ってもらいました。私が第一志望に合格できたのは、友人と担任助手のおかげだと思います。
──[将来の〈夢〉]患者さんに信頼される放射線技師を目指す
帝京大学は、秋のAO、1月のセンター利用、2月の一般受験と、合わせて5回受験しました。何度も不合格を突きつけられましたが、どうしても第一志望に入りたかった。諦めずに最後まで粘り抜いてようやく合格を掴んだ時は、肩の荷が下りたような気持ちでした。「AO講座」でお世話になった講師からは「合格してくれて、ありがとう」という言葉をもらって、本当に嬉しかったです。
将来は、患者さんの気持ちに寄り添える放射線技師になりたい。東日本大震災の影響で、“放射線”に不安を覚える人が増えています。そんな方々に、安心して検査を受けていただけるように、きちんと説明できる、信頼される放射線技師になることが目標です。